ブラカブ 八菅神社

下谷地区から八菅橋で中津川を渡ると、目の前が八菅(はすげ)神社に至る参道である。
これから「やすげ神社」にでも行ってみる、と山十邸の管理人のオバチャンに言ったら「ハスゲ神社」ね、とすかさず訂正されたっけ。
駐車場にカブを停めたが、片隅には自転車の大集団が。
子供たちが集まっているとしたら、ちょっと騒々しいかなと懸念しながら神社に向かう。
参道でジャージ姿の娘3人に「こんにちわ」といきなり挨拶されて面食らう。
石段前には坊主頭の男子たち。
女の子に聞いたら高校の野球部だという。
彼らも口々に「こんにちわ」と挨拶してくれる。
そう指導されているのだろう。
私も高校の時は運動部に所属していたが、女子マネージャーの存在など有り得なかった。

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来たことを半ば後悔しながら長い石段を一歩一歩上がっていく私の脇を、高校生が軽々と駆け上がっていく。
私にもこんな時代があったんだけどなあ。
長い石段を登りきった先には鎮守の森があり、野球部員はここで女坂を下って戻り、また石段を駆け上がるというトレーニングを繰り返していた。
最上段には女子高生が一人立っていて、ストップウオッチ片手にタイムを計測し「10秒経過ー」などと朗らかに読み上げていた。
その向こうには、さらに石段の追い討ちであった。

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辿り着いた八菅神社は横に長い神社だった。
着ていた冬ジャケとフリースを脱いで、噴き出した汗をハンカチでぬぐった。
野球部員達もここまでは登ってこない。

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今も3月には火渡りの儀式が行われているらしいが、そうとは思えない寂れた無人の境内だった。
一人づつ黙々と石段を駆け上がる野球部員の男子と、それを支援する女子マネージャー。
日本独特の光景だろう。
ここまで離れるとタイムを告げる内容ははっきりとは聞き取れず、ただ女子高生の高く澄んだ声だけが、静かな鎮守の森に歌声のように反響していた。
今どきの高校生が『純』だなどとは思っちゃいないが、やたら明るく健康的な彼らも、やがて否応なく社会の荒波へと押し出されていく日が来る。
アルバイトで働いているとはいえ、半ばリタイアした私からみると何故かちょっと切ないというか遣る瀬ないというか、そんなセンチな感情が、私の錆びついた筈の心に浮かんで揺れた。
社殿に向かって礼拝する私の背中に届く女子高生の声が、巫女の神々への呼び掛けのように聞こえたせいかもしれない。
何十年か経って、彼らの誰か一人でも、懐かしくこの石段を見上げることがあるだろうか。
ここのところ神社仏閣などに対する破壊行為が続いている。
この八菅神社も放火されればひとたまりもなく全焼消失し、残るは崩れ掛けた石段だけとなるだろう。
あまり政治的なことは書きたくはないが、これは日本と日本人に対する明確なテロ行為と認識すべきだ。
いつまで日本人は大人しい、お人好しを続けるのだろうか。
この環境はいつまでも守らなければならないと私は思うが。

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八百万の神々もさぞお怒りだろうな。
ポカポカ陽気に乗せられて中津川沿いの道を、宮ヶ瀬まで遠回りして帰ることにした。
途中にあった石神社。

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八菅神社つながりの神社のようだ。
もう使われることもないであろう、小さな神楽殿。

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これが『たいへい岩』だろうか。

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社殿の脇に立っている石柱。

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はっきりとは読み取れないが、是より、登、禁という3文字が分かる。
禁を破って岩に近付いてみた。
ここでどんな秘儀が行われていたのだろうか。

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天然記念物に指定されてもおかしくないような藤蔓だと思うが。

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この後、宮ヶ瀬を回って帰ったのだが、ダム湖沿いではさすがに気温がぐっと下がった。
夏場でもこのくらいの温度差が体感できればいいのだが、夏の暑さは平地とさほど変わらないように思う。

ブラカブ 中津往還

中津工業団地を抜け、スーパーやファミレスのある集客通りを通過し中津大橋手前の信号を右折して細い通りに入ると、そこが中津往還である。
中津川の河岸段丘の上に伸びる旧道であるそうな。

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日中はポカポカ陽気であっても冬の日暮れは早い。
遠出は控えて御近所ツーで気を紛らすしかない。
その気になって探してみれば、近場でも面白そうなところが意外とあるもんだ。
旧道沿いに無料開放されていた古民家山十邸。

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隣にも旅籠だったかのような古い家屋があった。

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往時の面影が残るのはこの一画だけか。
山十邸に入ってみる。

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築年は1883年というから、今から130年ばかり前か。
屋根は豪農の屋敷には珍しく最初から瓦葺だったらしい。

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6月にここで何とコスプレイベントがあったとか。

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旧家にお約束の囲炉裏。
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実際に使用されていた駕籠。
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無人となって荒れていたのを愛川町が買い取って整備したとは、管理人のオバチャンの話。
家財道具がないので生活臭はあまりない。

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旧道を下って行って下谷地区へ入ると、残ってましたね。

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手入れはされているようだが空き家のようですね。
通りを隔ててもう一軒。

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ここも手入れはされているが空き家のようです。
路地から覗く納屋の内部。

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まだ日は高い。
中津川を越えて八菅神社へ行ってみますか。

 カブツー 檜原村 その2

手始めに林道入間白岩線を下りきった所で分岐する倉掛林道に入ってみた。

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舗装路が途切れたところで道はすぐに行き止まる。
すぐ傍にはトタン屋根の作業小屋があって、軽トラが一台止まっていた。
道があるようだが軽トラは先を塞ぐように止められていた。
山に入っているのだろうか、人の気配はなかった。

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まだ先がありそうだが、

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徒歩で確かめると、

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ほぼ廃道だった。
後で分かったことだが、ここが廃村茗荷平であるそうな。
やはり軽トラの先を見てみるべきだったか。
この日は初日の下見なので、次に向かった。
ここが林道月夜見線の入り口である。

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舗装林道で距離もたいしたことはないが、お約束の路面を覆い尽くす落ち葉とその下に角ばった落石という歓迎を受けた。
これぞ冬の林道である。
2速で慎重にカブを進めていると、身延や秩父を思い出す。
絶えて久しいワクワク感が戻ってきた。

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林道は広場に出て終わりとなった。

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私の読みでは、この林道から航空写真で見える山中の家屋群へと続く道がありそうに思えたのだが、

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それらがある筈の山腹とは深い谷川で隔絶されて連絡する橋の一本もなかった。
読みは見事に外れた。
やはり現地に来てみないと分からない。
ま、今回は下見だから。
意気消沈で戻り、試しに細い急坂を駆け上がってみると、

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今に残る萱葺き古民家を発見した。
幸先が良い。
そーっと奥を覗くと布団が干してあったのでまだ住人がいるようだ。
立ち入ることなく退散したが、今後に大いに期待が持てた。
探索すればこれから先、こんな古民家がわんさか出てくるに違いない。
藤倉集落の案内板。

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分かるようで、実際には分かりづらい。
この後はだいたいの土地感を掴むため本宿の交差点まで行ってみたり、時間の許す限り走り回ってみた。

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気まぐれな天候をもう一度期待したいが、本格的な檜原村探訪は来季に持ち越しだろうな。

カブツー 檜原村

今季のカブツーもこの日が最後かと思いながら出掛けると、日曜日にはまたポカポカ陽気の晴れマークが付く。
気まぐれな天候に翻弄されるように慌ただしく、いそいそと休日になるとカブで乗り出してしまう。
路面の凍結する冬は、もう目前に迫っている。
前夜の酒が残っていようとも、目覚ましとともに飛び起きて出発するしかないではないか御同輩。

東京の秘境といわれる檜原村は何度かバイクで訪れたことはあって、前から興味はあった。
ただ、バイクで駆け抜けるだけなら日帰りで充分なのだが、カブで探索ツーとなると距離的に中途半端な存在になる。
早朝に出発したとしても、あっちの道こっちの道と入り込んでいたら帰宅する頃には日が暮れてしまっているだろうし、体力的にもキツイ。
一時期熱心に通った(また再訪してみたい)身延方面なら、端からサンバーにバイクを積んでの車泊と決め込んで、デポ地も道の駅鳴沢や湖畔の駐車場など最適な条件が揃っていたのだが、檜原村となるとまるで見当もつかない。
しかし、航空写真で見ると私的に面白そうな所が何ヶ所もある。
ここのところ棡原集落近辺を航空写真で見ていてふと気付いた。
あれ、こんなところに道があったっけなあ。
あったのである。
私が愛用している広域道路地図帳山梨県五万分の一にはまったく記載のない道が。

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奥多摩周遊道路へ至る県道206号線の数馬の里あたりから檜原村最深部へと抜ける道路があった。
抜けた先の檜原村茗荷平はすでに廃村になっている。
この道が使えれば檜原村へのアクセスはかなり容易になるだろう。
不覚であった。
おそらく林道であろうと思うが、ともかく実際に行って確かめてみることにした。
約1000キロ毎のオイル交換を実施したばかりのカブで朝7時に出発した。
入り口はここである。

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やはり林道だった。
当然、知っている人は知っている訳で。
検索すればツーレポでわんさか出てくる訳で。
まあ、こういうのは縁だからという言葉に逃げてみる。

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この時は登山姿の若い男女10人ばかりのグループが歩いていた。
何かのサークルだろうか。
どっから来てどこへ向かうのだろうか。
山歩きといえば高齢者ばかりで、若者の集団はちょっと珍しかった。
乗り入れて行くと、この林道なかなか良い。
ずっと展望が開けている。
上りは眼下に、クルマやバイクが連なって混み合う206号線を見下ろし、

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峠を越えた下りは檜原村方面を見下ろすことになる。

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後半、未舗装路が出現するが距離は600~700メートル程度なのでわざわざダートを求めて来る程のものではない。

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行きも帰りも擦れ違った車両は所沢ナンバーの軽バン一台きりだった。
6キロ程度と距離も手頃なこの林道にすっかり気を良くして、檜原村最深部の下見ツーの開始だ。

カブツー 孤立民家 上野原 アゲイン

真冬並みの寒さから一転、土日はポカポカ陽気の予報が出た。
断念した超弧絶民家だが、駄目元でもう一度トライしてみることにした。
結論から先に言うと結局辿り着くことは叶わなかったのだが。

棡原集落手前で見つけた古民家。

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トタンで覆われているが、まぎれもなく萱葺きである。
ここらの民家にたいてい貼ってある御札。

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庭先でネット袋いっぱいの銀杏の実を、水道で洗っていた家主さんから聞いたところによると、この家は築150年以上になるそうな。
柱や梁は栗の木を使っているという。
そもそも秋に林道や田舎道を走っていれば、道端にイガイガを撒き散らしてバイクの通行の邪魔をし、この時とばかりに存在を主張するあの栗の木が、柱や梁を切り出すほどの大木に成長するのかという疑問が残るが、昔はそんな大木があったのだろう。
『日本書紀』には筑紫の国に長さ九百七十丈のクヌギの大木云々という記述がある。
一丈を3メートルとして計算すると2910メートルの超大木である。
『今昔物語』には近江国の根回り五百尋(ひろ)に及ぶ栗の大木の記述がある。
五百尋といえば約750メートルである。
これは神話や伝説の世界だが、かつては日本のあちこちの山中に途轍もない巨木があったことは事実なのだろう
栗の木で家の一軒くらい建ったって驚くことはないのかもしれない。
萱葺きの維持にはかなりの大金が掛かるらしいことは知ってはいたが、この家では福島から職人を呼び、片側の葺き替えだけで一ヶ月を要したとか。
その間の宿泊費も当然負担することになる。
やむなくトタンで覆ってしまえば傷みは早まる。
この家も、この家主さんの代で終わる。
家主さんはそう言って淋しそうに視線を落とし、銀杏の実を洗う作業に戻った。

お婆ちゃん家の近くにカブを停め、ここからいよいよ歩きである。
この日、庭にお婆ちゃんの姿はなかった。

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胸ポケットの携帯ラジオから聴いたことも無い歌謡曲を流しながら進む。
予期せぬ分岐が現れた。

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おいおい、マジかよである。
私はてっきり弧絶民家まで一本道が続くものと思い込んでいた。
ここへ来てY路とな。
かつて山で需要があったころの名残りなのだろう。
樹木の張り紙は狩猟罠に注意とある。
ここで当初の戦意が私の内部で一気に半減したようだ。
まあ、試しに左へ向かう。

大丈夫かこの橋。

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苔むした木橋が登場した。
これは誰だって渡ることを躊躇するだろう。
谷川に落下すれば死ぬことはないにしても骨折くらいはするかもしれない。
恐る恐る一歩づつ慎重に渡った。
だが、道は登り勾配になった先でほぼ消滅していた。

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引き返してもう一本の道を辿った。

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ここもご同様に先で一部が削れていた。
足を滑らせれば谷川へ転落するだろう。
子供たちが通っていた道とはどっちなのだろう。
確認しようにもお婆ちゃんはいない。
それにしても登山道などとは違い、ほとんど人がはいることのない山が、これほど自分を萎縮させるものとは思いもしなかった。
誰かに見られているようなとか、なにか気配を感じるといったことではないが、山自体が一つの生命体であり、入り込んだ私は人間で言えばウィルスのような、まるで私は排除されるべき異質と感じた。
山歩きさえろくにしたことのない軟弱物の私が入り込んではいけない世界なのではなかろうか。
こんな山奥で子供6人も育てた家とはどんな所なのか。
もっと情報を仕入れて、しっかり対策を立てて再再度の挑戦を試みてみたいものだ。
2度ばかり用事があって行ったことがあると言っていたあのお婆ちゃんに、また会えるだろうか。
まさか道案内を頼むわけにはいかないだろうなあ。
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