カブツー 檜原村 その2

手始めに林道入間白岩線を下りきった所で分岐する倉掛林道に入ってみた。

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舗装路が途切れたところで道はすぐに行き止まる。
すぐ傍にはトタン屋根の作業小屋があって、軽トラが一台止まっていた。
道があるようだが軽トラは先を塞ぐように止められていた。
山に入っているのだろうか、人の気配はなかった。

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まだ先がありそうだが、

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徒歩で確かめると、

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ほぼ廃道だった。
後で分かったことだが、ここが廃村茗荷平であるそうな。
やはり軽トラの先を見てみるべきだったか。
この日は初日の下見なので、次に向かった。
ここが林道月夜見線の入り口である。

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舗装林道で距離もたいしたことはないが、お約束の路面を覆い尽くす落ち葉とその下に角ばった落石という歓迎を受けた。
これぞ冬の林道である。
2速で慎重にカブを進めていると、身延や秩父を思い出す。
絶えて久しいワクワク感が戻ってきた。

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林道は広場に出て終わりとなった。

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私の読みでは、この林道から航空写真で見える山中の家屋群へと続く道がありそうに思えたのだが、

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それらがある筈の山腹とは深い谷川で隔絶されて連絡する橋の一本もなかった。
読みは見事に外れた。
やはり現地に来てみないと分からない。
ま、今回は下見だから。
意気消沈で戻り、試しに細い急坂を駆け上がってみると、

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今に残る萱葺き古民家を発見した。
幸先が良い。
そーっと奥を覗くと布団が干してあったのでまだ住人がいるようだ。
立ち入ることなく退散したが、今後に大いに期待が持てた。
探索すればこれから先、こんな古民家がわんさか出てくるに違いない。
藤倉集落の案内板。

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分かるようで、実際には分かりづらい。
この後はだいたいの土地感を掴むため本宿の交差点まで行ってみたり、時間の許す限り走り回ってみた。

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気まぐれな天候をもう一度期待したいが、本格的な檜原村探訪は来季に持ち越しだろうな。
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カブツー 檜原村

今季のカブツーもこの日が最後かと思いながら出掛けると、日曜日にはまたポカポカ陽気の晴れマークが付く。
気まぐれな天候に翻弄されるように慌ただしく、いそいそと休日になるとカブで乗り出してしまう。
路面の凍結する冬は、もう目前に迫っている。
前夜の酒が残っていようとも、目覚ましとともに飛び起きて出発するしかないではないか御同輩。

東京の秘境といわれる檜原村は何度かバイクで訪れたことはあって、前から興味はあった。
ただ、バイクで駆け抜けるだけなら日帰りで充分なのだが、カブで探索ツーとなると距離的に中途半端な存在になる。
早朝に出発したとしても、あっちの道こっちの道と入り込んでいたら帰宅する頃には日が暮れてしまっているだろうし、体力的にもキツイ。
一時期熱心に通った(また再訪してみたい)身延方面なら、端からサンバーにバイクを積んでの車泊と決め込んで、デポ地も道の駅鳴沢や湖畔の駐車場など最適な条件が揃っていたのだが、檜原村となるとまるで見当もつかない。
しかし、航空写真で見ると私的に面白そうな所が何ヶ所もある。
ここのところ棡原集落近辺を航空写真で見ていてふと気付いた。
あれ、こんなところに道があったっけなあ。
あったのである。
私が愛用している広域道路地図帳山梨県五万分の一にはまったく記載のない道が。

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奥多摩周遊道路へ至る県道206号線の数馬の里あたりから檜原村最深部へと抜ける道路があった。
抜けた先の檜原村茗荷平はすでに廃村になっている。
この道が使えれば檜原村へのアクセスはかなり容易になるだろう。
不覚であった。
おそらく林道であろうと思うが、ともかく実際に行って確かめてみることにした。
約1000キロ毎のオイル交換を実施したばかりのカブで朝7時に出発した。
入り口はここである。

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やはり林道だった。
当然、知っている人は知っている訳で。
検索すればツーレポでわんさか出てくる訳で。
まあ、こういうのは縁だからという言葉に逃げてみる。

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この時は登山姿の若い男女10人ばかりのグループが歩いていた。
何かのサークルだろうか。
どっから来てどこへ向かうのだろうか。
山歩きといえば高齢者ばかりで、若者の集団はちょっと珍しかった。
乗り入れて行くと、この林道なかなか良い。
ずっと展望が開けている。
上りは眼下に、クルマやバイクが連なって混み合う206号線を見下ろし、

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峠を越えた下りは檜原村方面を見下ろすことになる。

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後半、未舗装路が出現するが距離は600~700メートル程度なのでわざわざダートを求めて来る程のものではない。

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行きも帰りも擦れ違った車両は所沢ナンバーの軽バン一台きりだった。
6キロ程度と距離も手頃なこの林道にすっかり気を良くして、檜原村最深部の下見ツーの開始だ。

カブツー 孤立民家 上野原 アゲイン

真冬並みの寒さから一転、土日はポカポカ陽気の予報が出た。
断念した超弧絶民家だが、駄目元でもう一度トライしてみることにした。
結論から先に言うと結局辿り着くことは叶わなかったのだが。

棡原集落手前で見つけた古民家。

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トタンで覆われているが、まぎれもなく萱葺きである。
ここらの民家にたいてい貼ってある御札。

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庭先でネット袋いっぱいの銀杏の実を、水道で洗っていた家主さんから聞いたところによると、この家は築150年以上になるそうな。
柱や梁は栗の木を使っているという。
そもそも秋に林道や田舎道を走っていれば、道端にイガイガを撒き散らしてバイクの通行の邪魔をし、この時とばかりに存在を主張するあの栗の木が、柱や梁を切り出すほどの大木に成長するのかという疑問が残るが、昔はそんな大木があったのだろう。
『日本書紀』には筑紫の国に長さ九百七十丈のクヌギの大木云々という記述がある。
一丈を3メートルとして計算すると2910メートルの超大木である。
『今昔物語』には近江国の根回り五百尋(ひろ)に及ぶ栗の大木の記述がある。
五百尋といえば約750メートルである。
これは神話や伝説の世界だが、かつては日本のあちこちの山中に途轍もない巨木があったことは事実なのだろう
栗の木で家の一軒くらい建ったって驚くことはないのかもしれない。
萱葺きの維持にはかなりの大金が掛かるらしいことは知ってはいたが、この家では福島から職人を呼び、片側の葺き替えだけで一ヶ月を要したとか。
その間の宿泊費も当然負担することになる。
やむなくトタンで覆ってしまえば傷みは早まる。
この家も、この家主さんの代で終わる。
家主さんはそう言って淋しそうに視線を落とし、銀杏の実を洗う作業に戻った。

お婆ちゃん家の近くにカブを停め、ここからいよいよ歩きである。
この日、庭にお婆ちゃんの姿はなかった。

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胸ポケットの携帯ラジオから聴いたことも無い歌謡曲を流しながら進む。
予期せぬ分岐が現れた。

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おいおい、マジかよである。
私はてっきり弧絶民家まで一本道が続くものと思い込んでいた。
ここへ来てY路とな。
かつて山で需要があったころの名残りなのだろう。
樹木の張り紙は狩猟罠に注意とある。
ここで当初の戦意が私の内部で一気に半減したようだ。
まあ、試しに左へ向かう。

大丈夫かこの橋。

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苔むした木橋が登場した。
これは誰だって渡ることを躊躇するだろう。
谷川に落下すれば死ぬことはないにしても骨折くらいはするかもしれない。
恐る恐る一歩づつ慎重に渡った。
だが、道は登り勾配になった先でほぼ消滅していた。

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引き返してもう一本の道を辿った。

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ここもご同様に先で一部が削れていた。
足を滑らせれば谷川へ転落するだろう。
子供たちが通っていた道とはどっちなのだろう。
確認しようにもお婆ちゃんはいない。
それにしても登山道などとは違い、ほとんど人がはいることのない山が、これほど自分を萎縮させるものとは思いもしなかった。
誰かに見られているようなとか、なにか気配を感じるといったことではないが、山自体が一つの生命体であり、入り込んだ私は人間で言えばウィルスのような、まるで私は排除されるべき異質と感じた。
山歩きさえろくにしたことのない軟弱物の私が入り込んではいけない世界なのではなかろうか。
こんな山奥で子供6人も育てた家とはどんな所なのか。
もっと情報を仕入れて、しっかり対策を立てて再再度の挑戦を試みてみたいものだ。
2度ばかり用事があって行ったことがあると言っていたあのお婆ちゃんに、また会えるだろうか。
まさか道案内を頼むわけにはいかないだろうなあ。

カブツー 孤立民家 上野原 その2

お婆ちゃん家から戻る途中に見下ろした集落。

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のどかな景色だった。
お婆ちゃん家の前の樹木が成長する前は、庭から下界がよく見下ろせたそうである。
この景色を、もっと上から毎日眺めていたのだろう。
建て込んだ住宅街で暮らす私と、精神的に何らかの影響の違いはあるのだろうか。
ただしコンビニもスーパーも、飲み屋さえこの集落にはないが。

集落を少し下って、谷川沿いの道へ入る。

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橋を渡って、

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登った先で道が途絶えた。

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さて、こっから先は徒歩だろうか。
航空写真のプリントを手に民家の脇道をウロウロ。
運良く庭先に女性がいたので聞いてみた。
見てください。
こんな山の中に家があるんですよ。
たぶん萱葺きの古民家で今は誰も住んでないと思うんですが、どんな所か行ってみたくて。
と、こんな感じで説明したと思う。
女性は航空写真を手にしばらく眺めていたが、ここですよ、ここがそうですよ、でも萱葺きじゃないですよと屋根を振り仰ぐように顔を上げて言うのだった。
えっ、ここがそうなんですか。
隣が何々さんの家だからここです、と無常にもきっぱりと断言した。
私はてっきりもっと先の山の中だと思い込んでいたのだが。
つい、何だあ、辿り着いちゃったのか、と私が落胆したように呟くと、女性は可笑しそうに笑った。

カブツー 孤立民家 上野原 その1

どっか面白そうな所はないか。
航空写真で興味を惹きそうな場所を探す。
カブで行けそうなところは無さそうだと諦めていたのだが、上野原市の棡原(ゆずりはら)に一ヶ所見つけた。

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なんとも凄まじい孤立っぷりだ。
周辺には良好物件が、もう2ヶ所ほど。
孤立民家の近くが1ヶ所と、

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集落の外れに1ヶ所。

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近在に合計3ヶ所とは豪華なメニューだ。
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天気予報では、この日は晴れでポカポカ陽気になるらしい。
週が変われば寒気団が来るというし。
カブツーも今年はこれが最後になるやも知れず。
早朝6時半に、ほぼ冬装備で出発した。
今回は印刷した航空写真を拡大を替えて4枚用意し、カーナビも加えて丹念に探索するつもりだ。
いつものように牧場峠を越えて県道35号線で20号に出て、小菅方面へ。
道が崩落して通行止めだった35号線は工事が終了していた。

棡原の集落に着いたら、航空写真とカーナビで確認しながら集落内の細い道を山側へと辿って行く。
谷沿いの細い舗装路を登っていくと民家があった。
幸運にも庭で草刈をしていたお婆ちゃんと遭遇。
たまに手入れにきているのだそうな。
さっそく航空写真を見てもらって情報を貰う。
お婆ちゃんはなにやら感心したように見ていたが、ここがそうだと言う。
この屋根が牛舎の屋根だからここが家だと言った。
早くも一件めの物件に到達したようだ。
超孤立家屋についてはお婆ちゃんはよく知っていた。
子供が6人いて家の前を通って通学していたそうな。
ここから歩いて10分ほどだと言う。
だがその道は、

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途中まで行ってみたが、先でどんどん細くなるし、猪はしょっちゅう出ると言うし。
いつもの携帯ラジオは電池の点検をして、そのままリアボックスに戻すのを忘れていたし。
それに一度火事で焼けていて、今の家は再建して小さくなったらしいし。
また今度ということもあるし、ここは断念するしかないか。
お婆ちゃんは話し相手が出現したことで冗舌になるのであった。
亡くなった御亭主のことや、まあ色々。
そのほとんどはブログに書いてネットに載せるわけにはいかない。
かといって私が誰かに話すわけでもない。
私の中に一期一会の記憶として残るだけである。
一部を紹介すると、この家のご先祖は昔はもっと山の中に住んでいて、過去2回引越しをして、だんだん里に降りてきたと言う。
いまでも随分な山の中なのだが。
この山の奥には屋敷の跡の石垣が残っているらしい。
と、お婆ちゃんが指差した方向。

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山中奥深くにひっそりと残る屋敷跡の石垣。
発見した人は驚くだろうな。

屋敷内の朽ちゆく蔵。

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かつては牛を10頭ばかり飼育していたという牛舎。

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お婆ちゃんは元気に体が動くうちは、こうして手入れに通ってくるのだろうけど、家族11人が賑やかに暮らしていたというこの屋敷も、やがて蔵と同じように朽ちていくのだろう。
お婆ちゃんに別れを告げて、次の優良物件に向かった。
プロフィール

Author:sichirin
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