いまのように、冬山のなかった昭和六年五月、

私たちは山開きということで、釜無川をつめ、横岳峠から、覚兵衛の岩小屋に泊り、一つずつキレットをよじ登りながら、第三キレットまできた。
そのころ、鋸山に登はんする人は、ほとんどなく、自分たちにすると、初登はんにも近い気負いようであった。
ところが、第三キレットの馬の背のような稜線に、人がいるのである。しかも、寝ているらしく、麦わら帽がみえる。
山稜で人に遭うその突然の恐ろしさ、自分たちしかいないと信じきっていたときのギクッとする異常感が、わかってもらえるだろうか。私たちはそのとき、もう心の平衡を失っていた。たった一人で、どうして登ってきたのだろうか。ザイルもなしで。ヤッホーと声をかけてみたが、その寝た人は動かない。頭の方から近づいて、恐る恐る帽子をとった。
 ふいっと、真っ白な顔が正面を向いていた。
 あっ それは死骸だった。みんな歯の音をがたがたさせ、死骸をまたいだ。そして、遮二無二、岩から岩をわたって甲斐駒の行者小屋に逃げこんだ。死体は、生きているように新しく、帽子がとばされていないところをみると平穏だったきのうきょうのことである。
 少年たちは、おたがい一言も死骸のことにふれず、小屋の隅にかたまってふるえていた。
 その夜ふけである。
キーン、キーンと、石突で岩をつくような響が、断続的にきこえてきた。
 地にしみわたるような不気味さである。
 行者は、また、来やがったナと、ぶつぶつ言って、祈祷をはじめた。
 両掌をくんで胡坐をしたまま、激しい呪文をとなえていたが、やがて、そのまま、ぼいんぼいんと、跳び上がりはじめた。そして、そのままひっくりかえって、ひきつったように呪文をつづけていた。口からはいっぱいの泡である。
 私たちは、とうとう一睡もできず、うとうとすると、夜明けだった。
以上、引用。

昭和41年発行の古道の研究者が書いた本の内容を紹介した。
けっしてオカルト本の類ではない。
現在でも、山は不思議なことが多いらしい。

なぜ長々と引用したかというと、昨年林道赤石高下線を走っていて、小さなお堂に出会った。
林道から急坂を200メートルほど下ったところにあった。
道幅は軽トラ一台がやっと、いちおうコンクリート舗装されていた。

020201.jpg

今でも管理はされているようだ。

020202.jpg

近くで見ると、なかなか凝った作りである。
周囲には建物があったと思われる石で囲われた敷地が3箇所。

020203.jpg

誰がどんな理由でこんな山の中に建立したのか。
そもそも職人はどこから通ってきていたのか。
それともここに住み込み?
通いだとしたら周辺の集落は今は廃村となった平清水か、上下の七尾の集落か。
建物跡にはたぶん堂守りが居住していて、管理や修行をしていたのだろうと思えるが、こんな山の中では色々とあったのだろうなあと、その暮らしぶりには私なんぞの想像も及ばない。

春になったらこのエリア、もう一度訪れてみたい。
せっかくダート道が残っていることだし、オフロードバイクを持ち込んでみようか。
桜が咲くまであと2ヶ月。
もう少しの辛抱です。
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